アイデンティティーの確立とは?その方法は意外なところに

Sponsored Link



Pocket

「自分探し」

っていう言葉を聞くと、

高校生や大学生くらいだと、

身を乗り出すほどの興味があるでしょうが、

いい大人(年代はご想像に任せます)になってくると、

「そんなもの、まだやってるの?」

という感じでしょうか?

 

これに関連して、

「アイデンティティー」

という言葉もおそらくご存知だと思います。

 

これは、

”存在証明や同一性、自分が自分である事の証明”

という意味ですが、

 

かんたんに、

”自己同一性”と言ったりもします。

 

今回はこのアイデンティティーについて、

少し語ってみたいと思います。

Sponsored Link

「本当の自分」と「理想の自分」とは別

私の仕事柄、(ライターをやっています。)

一般的に、エリートと呼ばれる若者と接する機会が多いのですが、

そういった方々には、

面白い共通点があるような気がしています。

 

おそらくずっと、親や周りのいう通りに勉強を頑張ってきたのでしょうね。

そうやって”素直に”レールに乗っかってきた分、

その方達は親元を離れると、

そのレールから飛び出してみようと画策します。

 

エリートの方だと、やはり

「自分の(立派な)経歴は崩したくない」

と考えるらしく、

だいたいは

かっこよく”留学”したりなんかしますね。

 

”バックパッカーで放浪の旅に出る”

なんてのも、わりとありがちです。

 

そしてそこで得た経験のおかげで

「人生観が変わった」とか、

「自分らしさが見つかった」と思い込み、(あくまでも思い込み、)

再びきれいなキャリアの上を歩いていくのです。

 

自分らしさを見つけようとして、

遠くに出かけるという行動自体は、私はまったく否定しません。

ですが、そこで「自分を探した」というより、

「つけたい色を自分につけてみた」

という感じがしないでもないです、正直。

(バックパッカーで放浪した私、という、いわゆるブランディングの一環です。)

 

…あ、ちょっと話が寄り道しすぎちゃいましたね。

 

「本当の自分を分かって欲しい」

とか

「本当の自分を知りたい」

というのは、誰にでもある欲求です。

(もちろん、私にもあります。)

 

しかし、

「本当の自分」と「理想の自分」とは別にある

ということは、認識しておくべきでしょう。

”自我”は他人の目によって作られる

たとえば、

面白い動物の名前ってありますよね。

馬の糞に似ているからということで名付けたられたバフンウニ

mig
スベスベしていてまんじゅうみたいだからスベスベマンジュウガニ。

images-3
木を食べるからキクイムシ。

A5D2A5E9A5BFA5ADA5AFA5A4A5E0A5B7
こうした名前は、人間が、

その種別として認識するために、

便宜上、つけているだけです。

 

要するに

人間は、

ある程度レッテル張りをしなくては、

他者の存在を認識できない

のです。

(でも”キクイムシ”という名付けはヒドイもので、実際は木を食べてなんかいません。食べているように見えて、本当は、あけた木の穴に生えたカビを食べています。)

 

ですから、

”自分の思う自分”と、

”他者の認識するの自分”には

ズレがあって、当たり前なのです。

 

自我なんて、他人の目によって作られるものですから。

Sponsored Link



他人の目を気にするのはよくない?

自我を確立する上で、

他人の目を気にするというのは、

ある意味、大事なことでもあります。

 

しかし人はよく

「他人の目を気にするな」と、言いますよね?

 

「他人の目を気にする」

というのは、多くの場合、

「自分が”帰属意識”を持っている集団からの目線を気にする」

と、言い換えることができます。

 

…ちょっと難しいですかね?

 

要するにたとえば、

「自分はギャルでありたい」

と思っていたら、

そのギャル仲間からの目線が、

その人の”自我”を形作っています。

 

「私はこの会社の一員で、そのことだけはこれからもずーっと揺るぎない」

と思っている人は、

その会社の人たちからの目線が、

自我を形作っているということになります。

 

”他人の目”を気にするのは、わるいことではありません。

ですがそれも多くの場合は、

”帰属意識の目”

であることは、認識していていいかも知れませんね。

 

つまり、

「自分はここの人間じゃないし」とか

「自分はこんなとこすぐ出て行くし」

と思っている人は、(帰属意識を持っていない人は、)

人の目なんてまったく気にならないわけです。

 

外国や遠いところに出かけると人の目が気にならなくなるのは、

こういった理由からですね。

Unknown
…逆に言えば、

別に遠くに出かけなくても、

「自分はここの人間じゃないし」

と、常に思っていれば、

人の目が気になることはありません。

Sponsored Link



結局はずっと探し続けるんです

結局、人は、

誤解することしかできない

んです。

”誤解”と表現することが、優しさだと思ってください。

 

たとえ、

あなたが自分のことが嫌いでも、

それは全部、誤解。

 

あの人のことが嫌いでも、

それも、誤解。

 

あの人のことが好きでも、信用していても、

それも、誤解。

 

人生を先に進めるために、

その時々のレッテル張りをして(認識を持って)生きていく…

それが人間です。



でも、最後にこれも言わせてください。

 

いい歳になって、

自分を分かったような気になるのも誤解です。

 

ずーっと自分を探し続ける、

次々と、新たな自分に会いたがり続ける、

それが人生じゃないでしょうか?

 

答えの出ないむずかしいことで立ち止まらず、

常に「前に」進み続けましょう!

それでいいんです。

人間の「本性」が出る時。「人間性」が変わる時。

2017.09.30

「孤独を好きにならないと芸術家にはなれないよ」

2017.10.02

ぼっちレベル診断にトライ!目指せかっこいい「ぼっち充」

2017.09.23
Pocket

あわせて読みたい



Sponsored Link



ABOUTこのブログをかいている人

演劇と文筆活動をしながら、画家の助手、占い師の助手、著名人のゴーストライターなど、数々の”珍職”を経験。現在は、童話作家、フリーライターの顔を持ちながら「ストーリーカウンセラー」としても活動中。こちらのブログでは「人生のやっかいごと」をなるべくシンプルに解決する方法・考え方を中心に、個人的に興味のあることを”総合的に”紹介しています。