感動ポルノはなぜ悪い?理想的な感動の作り方とは?

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先日アップした記事、

感動ポルノとは何か?人はなぜ感動を求めるのか?

の反響が大きいようなので、

補足する意味で、もう少しだけ書こうと思います。

前回の内容を少し振り返ると、

「善・偽善の線引きはかんたんにはできない。

人の行為がどうである、こうであると、無理に線引きしようとするよりも、

自分がどう生きるか?のみに焦点を合わせようじゃないか」

といった感じでした。

今回は

これにもう少し、

なぜ障害者からも、健常者からも

”感動ポルノ”批判が出るのか?

といったことや、

エンターテイメントの分野での

障害者の扱われた方

について、

考えていきたいと思います。

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ステラさんの真意はどこにある?

「感動ポルノ」という造語を生み出した

ステラ=ヤングさんは、

わざと「ポルノ」という刺激的な言葉を用いました。

正確には、

(アメリカの方ですから)

「インスピレーション・ポルノ(inspiration porn)」

と言っているのですが、

これを「感動ポルノ」と訳したのは的確に的を射ていると思います。

「インスピレーション」の部分よりも、「ポルノ」の部分が特徴的な言葉ですから、

「ポルノ」がそのまま使われている

「感動ポルノ」で、まったく問題ありません。

その

ステラさんの主張で、

肝となる部分は、

(いわゆる感動ポルノは、)健常者が良い気分になれるように、障害者をネガティブな存在としてモノ扱いしている。それは、自分たちの抱えている問題が大した困難ではないと、違う角度から見られるようにするためだ。

という部分だと思います。

ですが、

スピーチでは最後、このような形で締めています。

どれだけ私が自分の存在をアピールしても、世の中の本が全て点字になることはく、階段がスロープになることもない。健常者の方々は、障害者に対しての意識を変えてください。私たちは、障害が例外としてではなく、普通のこととして扱われる世界で生きていきたいんです。

と。

少し話の矛先が変わっているように、見えます。

モノ扱いの部分は、怒りがにじんでいますが、

最後の部分は、持って行き場のない絶望感のようなものを感じます。

これはまったく、私個人の考えなのですが、

ステラさんは、

こうしたテレビ番組で、このように大々的にスピーチさせてもらう機会を得たことに関しては、

感謝しているでしょうし、

ある程度の満足感、それに高揚感も

感じていらっしゃると思います。

あるアンケートでは、障害者の9割が

「感動ポルノ」に関してネガティブな感情を持っている

と答えたらしいですが、

私は、ステラさんも含めて

「それはいったいどれほどのネガティブさだろうか?」

と思うのです。

はっきり言うと、

そんなに大激怒ではないはず…

と思うんです。

障害者であるからこそ、注目をされ、こうして広く、人に意見を届けることができた、

それはある種ハッピーなことです。

どんな環境の人であれ、そうした機会はかんたんに得られる機会ではないですし。

私は、

もし障害者に目を向けることがなくなったら、

そっちの社会のほうが恐ろしいと思います。

ステラさんは、ある種の社会批判をしていますが、

それは

障害者と健常者の間の論争や、溝を生むためのものではなくて、

誰もが抱く、一般的な社会構造への嘆きと

変わらないようなものだと思うのです。

たとえば、

他人への思いやりのかけらもなく、道で平気でタバコをふかす人がいますね。

でもこうした思いやりのない人は、人類の歴史が何年続こうが絶対に絶滅することはないと思うんです。

…こうした嘆きに近いようなものではないでしょうか?

少なくとも、

この”感動ポルノ”論争が、

決して健常者と障害者の溝を深めるようなものになってはいけないと思うのです。

ステラさんも(もうお亡くなりになっていますが、)そう思っていると思います。

”問題”を人に知ってもらうことの難しさ

24時間テレビを批判する人の論調はこうです。

「障害者の夢をかなえてあげるためにこんな大勢の有名人や健常者たちが努力してあげるなんて素敵!感動!絆ばんざい!」という感動の仕方は的外れ。

解決する必要のない課題を勝手に作って、それを解決して内輪で盛り上がってるだけ。そんなことするなら、被災地の瓦礫撤去とか現実的な問題に取り組むべき。

(芸能人に支払われるギャラも含めて)制作費をそのまま寄付したほうが良いのではないか?

この番組は障害者だけが感動の対象になっているわけではありませんが、障害者をメインにすえた企画が、ある意味、シンボル的にはなっていますね。

でもこの、

「障害者だけを扱っているわけではない」というのが、

一つ、大きなポイントです。

あと、これは

あくまでも「テレビ番組」という興行である

ということも忘れてはいけません。

もし、

同じ志を持ったテレビ局が、他にあったとして、

その局が、

「電気代もお金も浮きますし、丸1日停波します!」

とやったところで、

果たしてそれで、世の中にメッセージが届くでしょうか?

たとえて言うならば、

駅前などで

「ワンちゃんネコちゃんを救うために募金をお願いします!」

と一生懸命叫んでいる人がいますが、あれと、

自分の訴えることと何らかの関係性のある芸を見せて募金を集める人が両方いたら、

どっちが好感持てますか?

(あえて「どっちが正しいですか?」とは聞きません。)

…難しい問題ですよ。

”問題”を人に知ってもらう、というのは。

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ストーリーには「感動を刺激するツボ」がある

感動とは、

ものに深く感じて、心を動かすこと。

前回の記事でも書きましたが、

人には

「感動したいという欲求」

が本能的にあるものです。

政治家の演説においても、

この、

「人の心を動かす」=「感動させる」

というのは、もっとも大きなポイントになります。

人の心を掴めば掴んだだけ、それが自分への支持となりますから。

そんな”演説のテクニック”としても用いられる

「感動を刺激するツボ」はこちら。

①何かが欠落した、もしくは欠落させられた主人公。

②主人公が何としてもやり遂げようとする遠く険しい目標・ゴール。

③乗り越えなければならない数多くの葛藤・障害・敵対するもの。

こうした3つの条件が揃っているものに、

人は感動するようです。

…でもこれ、

よく見てください。

私たちが普段触れている映画、テレビドラマ、漫画などのストーリーと、まったく同じじゃないですか?

漫画の神様と呼ばれる、かの手塚治虫さんも、

このことはよーく分かっていたようで、

中でも彼の作品『どろろ』

魔物に体の48か所を奪われた百鬼丸が、どろろと共に旅をしながら体を取り戻していく…

という話。

面白いようにこの「感動を刺激するツボ」そのままです。

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前回の記事で私が嫌いだと言った

戦争モノのテレビや映画も、

障害者を扱ったドキュメントなども、

結局は、

物語を語る上で、

人の心を動かしやすい要素に満ちている

のですね。

もちろん、

だからといって安易にこうした素材(要素)に手を出していいとは言いませんが、

人の心を動かすこと自体に、善も悪もありません。

動かす人の思想(良心)が大事でしょう。

(むしろ、そこにしか目を向けることができません…。)

ステラさんが批判した世の風潮や、

24時間テレビや、

戦争モノの映画・テレビ、

それらの根底に、

少なくとも「悪意」はないと思うのです。

(たとえ「偽善」と罵られようとも。)

もし

「これは偽善だ!」「やめさせるべきだ!」

と感じたら、

そう騒ぐ前に、

もう一歩考えを前に進めて、

「誰も傷つけずに世の中をいい方向に持っていくために、

自分にはどんなことができるだろう?」

と考えてみてはどうでしょうか?

…まぁ、これも

人の行為を善か偽善かとジャッジするのと同じくらい

本当〜に、

難しいんですけどね…。

そうです、

難しいんですよ、世の中。

【関連記事】

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ABOUTこのブログをかいている人

演劇と文筆活動をしながら、画家の助手、占い師の助手、著名人のゴーストライターなど、数々の”珍職”を経験。現在は、童話作家、フリーライターの顔を持ちながら「ストーリーカウンセラー」としても活動中。こちらのブログでは「人生のやっかいごと」をなるべくシンプルに解決する方法・考え方を中心に、個人的に興味のあることを”総合的に”紹介しています。