やらない善よりやる偽善の意味。24時間テレビって偽善?

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ここ数年よく聞くようになった、

「やらない善よりやる偽善」

という言葉。

 

私はこの言葉、すごく好きです。

最近生まれた言葉ですが、

これは今後もずっと日本で使われていく言葉でしょう。

 

少し言葉に矛盾をはらんでいるところも、また魅力です。

やってないんだから「善」も何もないでしょ、と。

 

でも一方は、

「偽善」だろうが、いい人ぶってるだけだろうが、

やっているんです。

 

日本人、特に昨今のネット社会では、

出る杭は打たれるというか、

「行動力のある者が揶揄されるシーン」

ってすごく多いと思うんです。

 

今回はこの

「やらない善よりやる偽善」

という言葉の意味を深く考えながら、

チャリティーやボランティアなどについても

考えを深めていきたいと思います。

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「やらない善よりやる偽善」…この言葉の出どころは?

この言葉に表れる思想がメディアに出たのは、

1992のフジテレビのドラマ『愛という名のもとに 』で、

ある登場人物が

「何もしないくらいなら、何かをして偽善者と言われた方がマシだ!」

と言ったのが最初と言われています。

 

でもこれは、今から25年近く前の話。

私もすでに生まれていましたが、

このドラマのこのセリフ、

その時そんなに世間で話題になっていなかったと思います。

(確かにドラマはヒットしましたが。)

 

その後、だいぶ飛んで

2006年に発売された

漫画『鋼の錬金術師 第15巻 』で、

「偽善で結構! やらない善よりやる偽善だ!」

というセリフが出てくるそうです。


 

…ほとんど今の形に近くなっていますが、

どうやらこれよりちょっと前、

2002年

インターネット掲示板への書き込みで、

このような言葉が出てきているようです。

(やらない善よりやる偽善)

 

タイミング的には

他にもまだ複数の説があるようですが、

いくつもの説が出てくること自体、これは、

日本全体で同時多発的に起こってきた言葉

なのだと思います。

 

まさに「やらない善よりやる偽善」の言葉は、

今の時代を映している言葉なのです。


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この言葉の真の意味

どうやら2010年前後からはっきりとした形になって、

日本のメディア等に登場するようになった、この

「やらない善よりやる偽善」ですが、

この言葉が生まれてくる前から、

実は、日本にはこれに近い概念がありました。

 

「全ての善行は結局は自らの心の満足を満たすための行為である」

 

といった言葉がそれに当たりますね。

 

たとえば、

仏教では「心の清らかな状態で行う行為」を

全て、善行為と言います。

 

じゃあ

「下心を持って行う行為」

は、その反対の偽善行為なのか?

…実は仏教ではここには触れていません。

まずは

”心を清らかにすること”が先決ですから。

 

ですが、こんなこともあって、

ずっと日本人の中には引っかかりがあったのですね。

 

何せ、

あまりにも周りの目を気にする国民性ですから、

いいこと(善行為)をするのも恥ずかしいのです。

 

ここまでのことを踏まえ、改めて、

「やらない善よりやる偽善」

の意味を解説してみます。

 

この言葉の意味は、

 

たとえ

「人からよく思われたい」「自己満足をしたい」

という下心があって、

”表面的な善行為”(偽善)を行うのであっても、

その行為で実際に助かる人、

感謝してくれる人がいるのなら、

じっとしているよりも、

行動を起こすことのほうに価値がある。

 

…ということだと思います。

いいですよね、この言葉。

 

やらないんだから善もクソもないところを、

「やらない善」と言っているおかげで

言葉のリズムも整いますし、

何だか思い切りの良さも出て、

カッコイイ言葉になってます。

↑漫画「ワンピース」も結局は「正義のあり方」を語っていますよね。正義なんて、どの方向から見るかによって違うものです。

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24時間テレビのチャリティーは善か偽善か?

では、

もう一つの話題に触れていきますが、

最近では、日本テレビの24時間テレビのチャリティーの精神を

「偽善だ」

とわめき立てる人が、少なからずいるようです。

 

また

「障害者を感動を呼ぶ道具に使うのは間違っている」

という論調もあるようですね。

 

ちなみに、

チャリティーとは、

社会的な救済活動のこと。

 

実際問題、障害者に対するサポートというのは、

世界中で議題になっているものの、

サポートするどころか、

人の目の届かないところへ隔離してしまっていることが

非常に多いです。

 

東南アジアのある国では、

障害を持った人たちを「悪霊が憑いている」という理由で

1つの村に閉じ込め、隔離しているところもあるくらいです。

 

差別とは、いけないもの。

でも、

人の差異があるのは仕方ないのです。

 

私たちは、

障害者が社会にスムーズに溶け込むための施策を

積極的に行う「べき」じゃなくて、

少なくとも、忘れてはいけないのです。

 

ここであまり、

「べき」とは言いたくありません。

やるべきか、やらないべきかではなくて、

もっと自然に共存しなくてはいけないのです。

 

しかしこれは、世界にとって永遠の課題であるように、

はっきりとした解決策は分かりません。

 

でも、

ただ無力を嘆くのではなく、

勇気を持って、年に一度は必ず

障害を持った人たちのことをきちんと取り上げ、

その存在をちゃんと国民に知らせている24時間テレビは

私は素晴らしい番組だと思います。

 

確かにTVショーである以上、

エンターテイメントの要素も取り入れ、

見やすく演出はされていますが、

そういった表面だけでなく、

根本にある精神に目を向ければ、

間違いなく評価されるべき番組です。

 

この取り組みは、

障害者だけでなく番組視聴者をも、

何らかの形で救済しているように思います。

 

「やらない善より、やる偽善」。

 

たとえそれが

世界の永遠の課題にとって直接的な解決策にならならくても、

たとえ出演者にギャラが出ていて、

実質的なボランティアでなくても、

たとえどんな「下心」があっても、

じっとしているよりも、行動を起こすほうに価値がある…。

 

こうした番組がある種エンターテイメントに昇華されつつも、

この日本という国で、これだけ長く続いていることは、

それだけで価値があることだと、

私は思います。

↑日本テレビの強さの秘密がここに。

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9 件のコメント

  • phobos より:

    障害者ですがこの記事には全く賛同できません。障害者の存在を周知しているといいますが、その周知が「頑張っている障害者」という一方的かつ限られたものであることが問題です。世の中には頑張れない障害者、番組に出てこない知的、精神障害者などもいます。私は障害には個人的側面と社会的側面の両方があると思います。24時間テレビは健常者から見た都合の良い障害者像を固定してしまうという点で、社会的側面を強化しています。やらない善よりやる偽善という言葉は偽善者の行為が善行であって初めて意味をなします。悪影響があるという点でもはや偽善ですらありません。
    あなたはまず、障害者と健常者は自然に共存するべきといいながら、その自然な共存の推進から最も離れたものを賛美していることを自覚してください。

    • mkthy(まくしー) より:

      コメントありがとうございます。
      デリケートな話題とはいえ、少し私の意見を書きますね。
      頑張っている人を見て、
      しらけた気持ちになる人と、そこから刺激を感じる人がいますね。
      これは健常者だから、障害者だからというのは関係ないのではないでしょうか。
      phobosさんは「結論」を持っていますか?
      周りに、自分に対して、どうなって欲しいのでしょう?
      何も望まない…という答えもありでしょう。
      では、他人はどうあれ、
      自分はどうありたいのでしょう?
      何事も批判されるのは結構ですが、
      それならそれで、
      (そんなくだらない連中は放っておいて)
      自分はどうするのか、どう生きるのか、
      に焦点を絞ってみるのはいかがでしょうか?

  • phobos より:

    返信ありがとうございます。
    私の結論としましては、普通の人間と同じような自由や幸せが手に入るように扱ってほしい、自分一人でそれが難しいようだったら社会に手を貸してほしいと思っています。自分がどう生きるか、とおっしゃいますが、幸福に、かつ自由に生きることを阻害する可能性があるから私は24時間テレビを批判しています。くだらない連中はほっておけと言われましても、実際問題社会には障害者に対する差別や偏見が存在する以上、それは無理な話です。
    私は24時間テレビは障害者個人ではなく、差別を生み出す社会の方に目を向けるべきだと考えています。視聴者が感動ポルノとして障害者を消費するのではなく、自分の中に存在する差別感情や偏見に目を向けてもらいたいです。

  • mkthy(まくしー) より:

    またまたコメントありがとうございます。

    返信はこれまでにいたしますが、
    私も、24時間テレビを「100%」肯定しているわけではありません。
    スタッフ間で「絵になる障害者を探せ」といった指令が出たりもしているようです。(言語道断ですね。)

    情報というものは、ただ受け止めるだけではなくて、ある程度分析したほうがよいです。
    ニュースでも、
    「ここはこう伝えているが、どういう意図でこう伝えているのだろう?」
    と考えることで、裏にある背景や、本当の情報が見えてきます。

    メディアは人間が作っているものです。
    この経済社会の中で作られています。

    たとえば、
    宗教だって、一番原始的なビジネスの形と言われています。
    絶対的な善だとか悪だとか、決められないことがほとんどです。
    (宗教で救われる人もいます。)
    (悪い人に騙されながらも、それでも、孤独を癒されたと喜ぶ人だっています。)

    全部を批判することは、
    そこにいくらかある「良心」も
    まとめて批判してしまうことになります。

    人のいい部分にスポットを当てて見ようとすると、
    見え方もまた変わってくるのではないでしょうか?
    (何も無理に24時間テレビを好きになる必要はないのですが。)

    どんな人にも、善良な面、暗黒な面、両方あります。

    phobosさんは、障害を持った立場で、
    世間が自分に向ける目を問題視しているようですね。

    ただ、もし自分と同じ境遇の人がそばにいたとして、
    そこをもう一人の人が通りがかった時、

    声をかけられるのはどちらだと思いますか?

    拒む空気を出しているのは、自分の側だったりはしませんか?

    私が前回の返信で、
    「結論」はありますか?
    と尋ねたのは、

    私が「私が悪うございました」と観念して見せたところで、
    何も”進まない”からです。

    この気持ちは自分にしか分からない、
    だから人に対して、
    トゲトゲしくなるのではなくて、
    だからこそ逆に、
    もっと
    人に対してやさしくなることも
    できるのではないですか?

    その時にそれでも、周りが壁を作っているかどうか、
    それを確かめてみてはいかがでしょうか。

    生きていると、それなりに辛いこと、
    みんな、たくさんあります。
    それを押し殺して、
    ある人は、感じないふりをしたりして、生きてます。

    強くて明るくて、
    人を楽しませて、
    喜ばせて生きている人は、
    やっぱり私は
    尊敬してしまいます。

    障害がなくても、
    たとえ、
    あってもです。

  • より:

    24時間テレビが扱っているのは、身体障害者ばかり。番組側が扱いやすいだけであって、障害者全体を見ようとはしていない。障害者を差別する国があることを比較に上げているが、身体障害者のみを出す24時間テレビもやっていることは一緒。障害者が頑張っている姿を全国に晒し、同情を煽り、チャリティと銘打った完全な偽善で一般市民から金を巻き上げる活動に意味はない。24時間であれだけ豪華な番組構成、キャスト陣を出演させているのなら当然莫大な制作費用がかかっている。なら制作にかかっている費用をそのまま募金すればいいだけの話。視聴者の良心をくすぐる偽善がやった方がいい善と考えるのは論外。たしかに、下心があろうともやったほうがいいこともある。ただ、結果が善であればの話。他人にチャリティーやらせ、金を使って番組を制作する上っ面の番組なんぞ必要ない。

    • mkthy(まくしー) より:

      コメントありがとうございます。

      反響の多い記事だったようですが、
      私の考えはすでに述べてある通りで、
      24時間テレビを全肯定も全否定もしません。

      個人的には今年、好きなタレントが出ていたので、多く観ましたが、
      私は24時間テレビは、TVショーに過ぎないと思っています。
      それも、人が頑張っている姿を見て胸と心を熱くする番組というか。

      健常者であれ、障害者であれ、
      人が頑張っている姿を見ると、人は心を熱くします。
      もし出演している障害者の方が無理やり出演させられているなら大問題です。
      しかしそれはなさそうですね。

      …同時に、それは健常者であれ障害者であれ、同じですね。

      出演料や制作費をそのまま寄付したとして、
      それが、障害者の方たちのことを深く考えるきっかけになるかどうかは分かりません。

      そしてまたこの結論に落ち着くのですが、
      善と偽善は、そんなにきれいに線が引けるものではないと思っています。

      意味で言えば、
      スポーツにも、祭りにも、意味はありません。
      政治家の献金パーティーは、
      「〜を励ます会」と銘打って行われます。

      是非を問いたくなるものは、
      きわどいものは、
      世の中、たくさんあるものです。

      24時間テレビが賛否両論あることは分かります。
      でもそれはある意味、当然の話でしょう。
      この番組が100%偽善、ましてや悪であるとは、
      私は思いません。

  • ねき より:

    自分は否定派でしたが、まくしーさんの記事を読んで新しい視点を持つことができました。
    結局一概に否定も肯定もできないが一番しっくりきます。
    あと、自分の中では募金として大きな額を払っている以上、ギャラの有無は関係のないことだと思っています。このことに関して「やらない善よりやる偽善」が当てはまると思いました。

    • mkthy(まくしー) より:

      うれしいコメントありがとうございます。

      ひとつ、あくまでも私見なのですが、
      番組終了直後の募金額と、
      最終的な募金額がケタ違いに違いますよね、
      もしかしたらタレントの皆さん、
      受け取った後、全額寄付してるんじゃないかとも思います…。
      一応は仕事なので、
      いったんは受け取るのではないでしょうか。
      そんな想像をしたりもしますが、
      これを調べて、むりやり結論を出そうとすれば、
      それこそ、下衆の勘繰りってやつですよね。

      この番組を必要以上に批判する人は
      おそらく、
      普段から熱心に障害者のお世話をしていたり、
      街のゴミを拾ったりしているのでしょう。
      だから、“中途半端”が許せないのでしょう。

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    ABOUTこの記事をかいた人

    演劇と文筆活動をしながら、画家の助手、占い師の助手、著名人のゴーストライターなど、数々の”珍職”を経験。現在は、童話作家、フリーライターの顔を持ちながら「ストーリーカウンセラー」としても活動中。こちらのブログでは「人生のやっかいごと」をなるべくシンプルに解決する方法・考え方を中心に、個人的に興味のあることを”総合的に”紹介しています。