
自分という人間の特徴を語ると、
まず、わりと一人が好きだということがあります。
小学校、中学校と、家の近くの学校に通い、
いざ、高校はわりと自由に選べるとなった時に、
私が選んだのは、家から通えるギリギリくらいの、遠くの学校でした。
そこに何を求めていたかというと、
「自分のことを誰も知らないところに行きたい」
という気持ちがあったのですね。
苦手な友達がいたとか、イジメられていたわけでもないですが、そんな気持ちがありました。
今でも、仕事柄、わりと自由に住むところを選べるのに、それなりに人口密度の高いところに住んでいるのは、
「人の中に紛れて生きていたい」
という気持ちがあります。
誰とも深く関わらずに、ひっそりと……。
(これをやるには、田舎よりも、そこそこ都会のほうがいいのですね。)
それを単に「人嫌い」という簡単な言葉で括って欲しくないのですが、
今回は、私のそんな気質の“本質”に迫ってみます。
大人になってからは「友達」=「同志」
そんな私ですが、そもそも、「人脈」という言葉があまり好きではありません。
何かの交流会に参加して、「人脈を作りに来ました」なんて堂々と言う人の近くからは、なるべく離れたいです……。
「本心を言っちゃあ、色気がない」なんてことではなく、
人脈なんて、作ろうと思って作るものじゃないじゃないですか。
「友達」もそうですね。
気が付いたら友達になっているものです。
「人脈」というのも、気が付いたらそのような関係になっていた、というものじゃないでしょうか。

一方で、
利害関係が一致する「契約関係」というのがありますが、
それは「友達関係」からの延長線上に、(出てくる時には)自然と出てくるもので、
はじめからそこを意識していたら、友達関係すら築けないですよ。
「じゃあ、あなたは交流会になぜ参加するのか?」
と問われれば、何かの情報を得るため、ですかね……。
自分にとって直接メリットがある話、というわけではなく、
「ああ、こんな会には、こんな人がいるんだ(参加してるんだ)」
という、こんなことでも一つの情報です。
プラス、「友達ができればいいなぁ」って感じです。
(できなくても、なんとも思わないですけどね。)
友達といっても当然、ベタベタ付き合う関係ではありません。
学生の時と違って、大人になってからの友達は、
「友達」と言うよりも、
「同志」と呼べるものだと思います。
……じゃあ、志を同じくしていたら、友達なのか?
いえいえ、そんなことはなく、やっぱり、多少気が合ったり、
楽しく会話できたりする「友達」じゃないと、「同志」ではありません。
(……もう一つ言うと、「志」というのも、別に壮大である必要はなく、「いっしょに犬をかわいがりたい!」とか、そんなレベルのことだって、一つの志です。)
大人になってからの友達関係は、学生の時のものとは別物
付き合う以上、自分にメリットがあるかどうかを考えてしまう……これは、大人になってしまったら、仕方がありません。
皆、それぞれの人生を生きていますし、時間は限られていますし。
一方、学生の時は、
周りのみんなと同じ時間が流れていますので、
ちょっと違います。
学生の時というのは、そういった意味で、
人生の中では“独特な時期”と言えます。
人生の初めの時にあるので、
「これが人生における人間関係というものか……」
と、勘違いしてしまいがちですけどね。
合わせて、勘違いして欲しくないのが、
経済的な利害関係以外にも、
「その人といると、心地よい時間を過ごせる」
というのも、十分なメリットです。

学生ではないのだから、大人なのだから、
「人付き合いは淡白で、かつ打算的であって然るべきである」、
これは何も冷酷な考え方ではありません。
個人的意見を言えば、私はむしろ、
これを否定する人間のほうが信じられません。
どんな人でも皆、付き合う人間は“自分で選んでいる”はずですから。
「人嫌い」ゆえの「誠実さ」もある
自分の中にある“打算”も認めないと、余計に人間関係に苦しんだり、
損をしたりしてしまうと思います。
ここまでのことをまとめると、
・「友達」とは「同志」である
・大人になってからの友達関係は、学生の時とは別物
・大人になってからの友達関係は、学生の時とは別物
⬇︎
「居心地のいい同志」こそ、大人の友達である
ということです。
「いっしょにいて居心地がいいわけでもないのに、
付き合っていて特にメリットもないのに、
あえてそれでも付き合うのが、善人の姿だ、
私はそうありたい!」
……なんて、全くの偽善ですし、自分を偽っています。
いつかストレスに押し潰されてしまうに違いありません。
(中には、打算しかないくせに善人のふりをしている人がいて、これが一番タチ悪いです……。)

一人でいたら、居心地が悪いことなんてありません。
そして、同志は、
本の中にも、ネットの中にもいます。
その人のことを思い、心を奮わせることができれば、
たとえ直接会えなくても、友達です。
私は、名刺の数やSNSの友達の数を誇るようなことは、したくありません。
たくさんの人に、いい顔をするのも嫌です。
大事なものは、少ないから大事にできるわけです。
なのに、大事なものを自らたくさん持とうとするのは、
違うような気がするのです。
ですから一般的に、
・人嫌い
・コミュニケーションが苦手
・コミュニケーションが苦手
とされている人って、
・自分に正直
・誠実な付き合いしかしたくない
・誠実な付き合いしかしたくない
という性分があるような気がするのですが……、
いかがでしょうか?
ちなみに私、間違いなく、人嫌いのように見られる日常を送っていますが(笑)、まったく人嫌いではありません。