
名作昔話を掘り下げる、第9回目は、
フィンランドの昔話『この世の終わり』
をお送りします。
世界の昔話って、本当に面白いです。
(日本の昔話も面白いですけど。)
この話、日本人の感覚だと、まったく先が読めないんです。
かといって、ひねくれた展開でもなく、
スッと理解できる、分かりやすい話です。
目次
今回ご紹介する話は…
↑この中に収録されています。このストーリーのモチーフ(発想の原点)
第9回目にして、ついに出ました。
今回の作品は、なんと、
モチーフ、なしです。
この昔話が、どんな思いつき(モチーフ)で、作られていったか、
はっきり言って分かりません。
……ただ、“リズム”があります。
(これから説明いたします。)
モチーフはありませんので、テーマもありません。
ですが、ただそれだけでは“掘り下げ”にはなりませんね。
続きをどうぞ。
物語の『天・地・人』
(あくまでも「昔話」なのでファンタジー要素は強い世界観です。)
(この物語は、なんと、途中で、主人公が交代します。)
あらすじ(物語のおおまかな設計図)
それを、”空のかたまり”が降ってきたと勘違いしためんどりは、
「この世のおわりがやってきた!」と森の中にふれ回ります。
めんどりは、
ブタと、雌牛と、犬と、おんどりと、キツネと、クマと、オオカミを連れて
洞穴に逃げ込むも、当然、何も起きない。
めんどりは、お腹が空いたみんなに食べられてしまい、
最後に残ったのは、キツネと、クマと、オオカミだけ。
クマとオオカミは、キツネを食べようとしましたが、
キツネはうまいこと機転を利かせて逃げ出した……。
起承転結は?
めんどりの頭にどんぐりが落ちてくる。
これを「このよのおわり」がやってきたと思い込む、めんどり。
めんどりの思い込みをブタが信じたので、
雌牛と、犬と、おんどりも信じる。
雌牛と、犬と、おんどりが信じたので、
キツネと、クマと、オオカミもこれを信じる。
次に、ブタを食べ、それといっしょに、
雌牛と、犬と、おんどりも食べる。
残ったのは、キツネと、クマと、オオカミ。
お腹いっぱいになった一同は、ここでいったん寝る……。
起きる一同。
クマとオオカミは、キツネを食べようとする。すると……
キツネ:「ぼくは自分を食べてやるぞ!」
クマとオオカミ:「それはいい。オレたちもやってみよう!」
このストーリーのポイントは?
この『名作昔話を掘り下げる』のコーナーでは、ずっと、
昔話は、3の要素を巧みに使う、
そして、
どんな長さの物語でも必ず、
「起承転結」の「承」は、大きく3つに分けられる、
と、お話ししてきました。
しかしこの物語では「承」をあえて、3の倍、6つに分けてみました。
(もちろん、3つにも分けられますよ。)
というのも、この物語、リズムが素晴らしいのですね。
ですからあえて、細かく分解してみました。
「承①」→「承②」で、どんどん仲間が増え、
「承③」で、いったん休み。
また、
「承④」→「承⑤」で、今度はどんどん仲間が減り、
「承⑥」で、いったん休み。
この一連の「承」のリズム、
見事な
『タン!タン!ウン! タン!タン!ウン!』
になっているのですね。
そして、
このリズムと同時に注目したいのが、
「承②」から、肉食動物が加わり、
どことなくキナ臭さが出てくるところです。
一気にみんなが仲間に加わるのではなくて、
段階を踏むんですね。
「え、この先どうなるのかな?」
という読者(聞き手)の興味を、
段階を踏んで、見事に引っ張っているわけです。
このストーリーの伝えるメッセージは?
この物語のオチは、
まぁ、はっきり言って、そんなにスマートではありません。
リズムの気持ちよさがすべてのお話、と言ってもいいかも知れません。
冒頭で、「この物語におそらくモチーフはない」と言いましたが、
そうなると、テーマもないように見えます。
ですが、このお話がどうしてフィンランドにおいて、
ずーっと、伝承されてきたか、
それを考えると、
多分、人々の間で、スッと腑に落ちるものがあったのですね。
1人の勘違いで、たくさんの人を巻き込み、
結局、それが間違いだったことが判明した時、
発端となった人は、みんなに責められる……。
そしてまた、そこで繰り広げられるいろんな人間模様……。
どこの国の人でも、
人間なら誰だって、何か思い当たるものがある
……そんなエピソードですね、これ。
秀逸なのは、一番最初の、
どんぐりが落ちてきたことを、“空のかたまり”だと思って、
「この世のおわり」だと勘違いするところですね。
なんてロマンチック……。
こんな理屈がずーっと、昔話として語られてきたというのが、
何とも素敵です。
というわけで、
物語の「リズム」にこだわって深く掘り下げてみた、
フィンランドの昔話『この世のおわり』でした。