【第7回】名作昔話『くぎスープ』から学ぶ、ツッコミ不在の笑いの作り方
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名作昔話を掘り下げる、第8回目は、

スウェーデンの昔話『くぎスープ』

をお送りします。

 

これは一応、ジャンルとしては笑い話なんですが、

この軽妙洒脱な感じは、

ちょっと日本の昔話にはないですね……。

 

そんな“お国柄”も感じつつ、深掘りしていきましょう。

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今回ご紹介する話は…

↑この中に収録されています。

このストーリーのモチーフ(発想の原点)


「食べられないもの」をいくら煮たって、ダシすら出ない。

でも、

味って目に見えないし、食べられないものをグツグツ煮て、

「美味しいスープができましたよ」

なんて言ったら、騙される人がいるかも知れないよね。

 

こんな思いつき(モチーフ)に、どうやって“肉付け”がなされ、

物語に仕立てられているかに注目し、以下の要素を見ていきましょう。

物語の『天・地・人』

天(時代・世界設定)
スウェーデンの昔
(あくまでも「昔話」なのでファンタジー要素は強い世界観です。)
地(物語のスタート地点)
人里離れた森
人(主人公および登場人物)
やどなし(今で言うホームレスのような男)と、おばあさん

あらすじ(物語のおおまかな設計図)


人里離れた森の中を、1人の宿なしが歩いていた。

一軒家を見つけると、おばあさんが出てきた。

しかしおかみさんはどうやら、やどなしを泊めたくないようだ。

それでも何とか「床になら寝てもいい」と許可をもらったやどなしだったが、どうしても食べ物が食べたい。

やどなしは、「この釘でスープを作ります」とハッタリをかます。

そして、「“具”があればもっと美味しくなる」と言って、

おばあさんに食材を持って来させ、

結局、2人でごうせいな夕食を食べることとなった。

それでもおばあさんは

「いいことを教えてくれて、ありがとう」と言って、

やどなしに感謝し、最後まで、やどなしのインチキに気付かなかった……。

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起承転結は?


森の中の一軒家の前で、やどなしおばあさんの出会い。

2人の思惑は噛み合わない。

やどなし:「泊めて欲しい」、「食事をごちそうして欲しい」

おばあさん:「泊めたくない。食事も食べさせたくない」

……でもやどなしは何とか、おばあさんをなだめすかし、

家に入り、“床”に寝る許可を得ることができた。

承❶

やどなしは、やっぱり食事をあきらめきれない。

でも、おばあさんはご馳走する気はないようだ。

そこでやどなしは、この家に食料があることを見抜いていて、ある作戦を実行する。

やどなし:「このスープを作ってみせますよ」

「でも、ちょっと味が薄いようだ。オートミールさえあればなぁ……」

おばあさんは、“釘”でスープを作る方法を知れて嬉しい。

喜んでオートミールを持ってくる。

承❷

やどなし:「まだここに、塩漬け肉とジャガイモがあれば……」

おばあさん、塩漬け肉とジャガイモを持ってくる。

やどなし:「まだここに、大麦とミルクがあれば……」

おばあさん、大麦とミルクを持ってくる。

やどなし:「さあ、できた!」

承❸

やどなし:「まだここに、お酒とサンドイッチがあれば……」

おかみさんはもう、あらゆる食材をテーブルに並べ、

宴会状態となる。



宴会が終わり、やどなしがに寝ようとすると、

おばあさんはそれを制止し、ベッドで寝かせる。


宴会が終わり、やどなしがに寝ようとすると、

おばあさんはそれを制止し、ベッドで寝かせる。


翌朝、やどなしが帰ろうとすると、

おばあさんは、やどなしに金貨を一枚あげる。

「ありがとう、これからは釘でスープを作れるから、楽に暮らせるよ」

このストーリーのポイントは?

一応、上のように起承転結に分けてみましたが、

このような分け方をしないパターンもあると思います。

 

要は、

どこからどこまで「起」「承」で、「転」で、という分け方に、

厳密さはいらないんです。

 

大事なのは、

「起」で、物語がレールに乗って動き出したら、

そこから、エピソードが転がり続けること。

そして最後、ちゃんと“目的地”に着くこと。

 

この物語で言うと、最終的に、

やどなしが、食事きちんとした寝床にありつけた……

という、この“事実”にたどり着けばいいわけです。


一般的には、「起承転結」の「転」で、

それまで仕掛けていた仕掛けが炸裂する話が多いですが、

 

この話はちょっと変わっていて、

仕掛けは最初から暴露されています。

 

あとは、

どこでこのおばあさんがこのインチキに気付くか?

というところなんですが、

 

でも、おばあさんは最後まで気付かないし、

読者(聞き手)に対しても、

「釘でスープなんてできるわけないのにね?」と、同意を求めません。

 

この、投げっぱなし感、スゴイです。


まるで、話し手と聞き手が、

“共犯者”になってしまうような、

…そんな連帯感を持たされてしまう、不思議な作りの物語です。

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このストーリーの伝えるメッセージは?

この話も、前回の『かしこすぎた大臣』のように、

特に、メッセージ性は感じられません。


ただ、おばあさんに対して、

「みんなでイタズラしちゃったね」

と、共犯意識を持ってしまうような感じです。

 

(ここで言う「みんな」とは、

やどなしと、語り手と、聞き手の「みんな」です。)


……と、ここで話の矛先を変えてしまいますが、

 

要するにこの話、

漫才で言うところの、「ボケ」と「ツッコミ」、

その「ツッコミ」が完全に不在なんですね。

 

日本のお笑いでは、ツッコミがないことは考えられませんし、

このような形態の「昔話」もほとんどありません。

 

(日本の多くの昔話のスタイルだと、

このやどなしのハッタリは、最後にはバレそうです。

バレても、相手に許されるかも知れませんが、

いくら何でもここまで完全犯罪のパターンはないでしょう。)


ここで、大きな大きな、新事実。

 

実は、世界には、

日本のような「ツッコミ」そのものがないようです。

 

ただ、ツッコミがあれば、笑いどころが分かりやすいですし、

そのぶん、みんなで一緒に(連帯感を持って)笑うことができますよね。

 

しかし一方では、この物語の笑いのように、

ツッコミなしで、このような奇妙な連帯感を得ることもできるんですね。

(もちろんこれを日本人が読んでも笑えます。)


「笑い」って、ツッコミがあってもいいしなくてもいい……。

 

そう考えると、日本人流の「ツッコミ」は、

「なんとか笑わせたい!」

という気持ちのほとばしりのような気がしますね。

だから、大阪人はツッコミがうまかったりするんです。


……というわけで、

最後、話がちょっと脱線してしまいましたが、

かなり変則的な作りの、

とても面白い話『くぎスープ』をご紹介しました。

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