なぜ童話を書くか? ~ファンタジーの語る真実~

なぜ童話を書くか? ~ファンタジーの語る真実~
annca / Pixabay

興味の対象は「昔話」から「童話」へ……

これまで私は「童話を書いています」というと、

そのたんびに、「どうして童話なの?」と訊かれてきました。

 

このページでは、私のこれまで歩みとともに、

「私が、なぜ童話を書くか?」

ということについて、書いていきます。

私は、小説も映画も漫画も、お笑いもゲームも大好きです。

子供の時からそれらに親しんできましたし、今でも変わりません。

 

そうした中でも、他の人よりちょっと特殊だったのは、

「昔話」が大好きだったところです。

 

小学校の図書館にあった昔話の本は読み漁りましたし、

テレビでやっていた「まんが日本昔ばなし」や

「こども人形劇場」が大好きな子供でした。

それこそ、漫画やゲームと同じくらい。

大学生になって本格的な自分探しが始まると、

私は、自然と原点回帰をし、

そうした昔話に、正面から向き合うことにしました。

「まんが日本昔話」や「こども人形劇場」をノートにまとめる、

という趣味を始めたのです。

 

自分の好きなものを研究して、自分自身を知る、

ということが、最大の目的だったのですが、

それらは単純に、楽しい作業でした。

 

昔話のストーリーがその奥底に隠し持っているメッセージ

に触れた時、何とも言えない喜びがありました。

それは、まるで、

誰かと本当に腹を割って話をしたかのような充実感でした。

大学は文系の学部だったのですが、あるゼミで私は教授に、

「レポートは自作の童話でいいですか?」と半ば強引にお願いし、

そこで初めて童話創作をしました。

 

大学を卒業した私は、役者になることを夢見て、上京します。

 

大学在学中から、福岡のプロダクションに所属し、

ローカルCMや企業VPなど、ちょっとした仕事をもらえていたので、

明るい展望を持っていました。

 

しかし、なかなか思うようにはいきませんでした。

アルバイトで生計を立てる中、私はまた原点回帰を図ります……。

目を向けたのはやはり、昔話でした。

しかし、今度はちょっと方向性を変えて、

「子供向けの文学」を本格的に勉強してみようと思いました。

 

図書館に通い、日本の児童文学の歴史を、

ノートに体系的にまとめてみたりしました。

そんな時、日本児童文学学校のことを知ります。

 

児童文学学校では、特に、内田麟太郎さんの講義に心を打たれました。

「世の中にはこんな面白い大人がいるのか」と感激し、憧れを抱くように なりました。

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ここを修了する頃、私の好きなものは、昔話→童話へ、より広く移行していました。

 

そして修了直後に、「フクブクロ」という児童文学サークルを立ち上げると、

講師に児童文学作家の山口理(やまぐちさとし)先生をお招きし、

そこで、定期的に創作をするようになりました。

このサークルでの活動は、10年近くにも及びます。

山口先生の童話および児童文学の「定義」が好きだったので、

厚い信頼を置き、長い間活動することができたのです。

その定義とは、

 

「児童文学とは子供から読める読者層の広い文学である」

 

といったものです。

 

私は、漫画やゲームと同じくらい子供が積極的に手を伸ばせるような

「面白さ」が童話には必要だと思っています。

 

少なくとも私自身は、いつもそのようなものを目指して、

これまで作品を書いてきました。

子供の持つ「子供の心」に。大人の持つ「子供の心」に。

私は、自分の作品を読んでもらった時に、

何がどうで、どうなったから面白かった、という感想よりも、

「よく分かんないけど、何となく面白かった」

といった感想をもらうのが一番嬉しいです。

自分自身、説教臭い話はあまり好きではありません。

テーマが明確すぎるものも、あまり好きではありません。

お涙頂戴など、もってのほかです。

 

私は子供の時、「機動戦士ガンダム」が大好きでしたが、

ストーリーなど全く分かっていませんでした。

大人になってから、詳しい内容が理解できるようになりましたが、

分からなくても楽しんでいました。

 

子供は、いいもの・よくないものを見分ける目を、

大人よりも持っています。

いいものはちゃんと見抜いてくれます。

 

大事なのは、その作品の根底に(幅広い意味での)、

「良心」があるかどうかだと思っています。

私はいつも作品を書く時、

「子供の持っている“子供の心”、大人も持っているはずの“子供の心”、その両方に届けよう」

と思って書いています。

 

子供時代のなかった大人はいませんから、

「子供の心」は必ず、大人の中にもあるのです。

 

しかし内容に関しては、

きちんとストーリーの流れも、

(ここは大人として)表現しなくてはいけませんから、

 

少し理屈っぽい言い方をすると、

「左脳に論破されない内容を、右脳で書いてやれ」

と思って書いています。

 

そして私なりの「良心」とは、

 

・自分自身が楽しんで書くこと

・この世の真実と思われるちょっとした「哲学」を、エッセンスとして物語の中に盛り込むこと

 

です。

なぜ「童話」なのか?

さきほど、山口理氏による「児童文学」の定義を記しましたが、

私は今後も、ジャンルとして「童話」にこだわり続けたいと思っています。

 

私の思う「童話」とは、こうです。↓

 

文章が平易であることは、単に便宜上の話。

作品の根底に、「純粋」な感性や精神性が表れている読み物が、童話で呼べるものである。

 

たとえば、

こんな文章があります。↓

 

「おかあさん、かみさまってキリンのことかもしれないね。

だって、たかいところからにんげんをみているもの」(ある子供の詩)

「流れ星、もいちど星になりたくて、桔梗の花になりました」(東君平さんの詩)

 

私は、これら2つの文章が持っているような精神性こそが、童話だと思っています。

 

ファンタジーは、ある意味において、

事実よりも、真実を語ります。

 

たとえば、「ふるやのもり」という昔話では、

・猿の顔がなぜ赤いか?
・猿のしっぽはなぜ短いのか?

といった疑問に対する答えを語っていますが、

私は、あの昔話をスッと受け入れる度量と想像力があれば、

人間は、人生をスムーズにやっていけると思うのです。

 

たとえば、健康業界などでは、

この食品が体にいいといった情報が、

数年後には真逆になっていることも多々あります。

事実のみにしばられた一般常識などは、

時代によって変わるものです。

 

他にも、

植物が秋になると紅葉するのは、緑分の色素が抜けるからですが、

なぜ、赤や黄色に色づいた後に散るのかというと、

これも、いまだに科学では解明されていません……。

 

人間の生きる世の中は、とにかく、ややこしいです。

 

しかし、私は、

真実というものは、(そんなものがあるとすれば)

それはきっと、シンプルなものであると思っています。

 

信じたいことこそが“真実”である……それでもいいのです。

それがスッと、受け入れやすいものであれば……。

 

そしてそこにはきっと

「良心」があったほうがいいでしょう。

さきほどの子供の詩のような、東君平さんの詩のような。

 

……これが、私の思う「童話」です。

私の描く未来

私の一番好きな小説は「野菊の墓」ですが、

それでも、通して読んだのは10回くらいだと思います。

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小説はいくら好きでも、その作品を何度も読むことは難しいです。

 

しかし、

童話や絵本なら、何度も手にとって、

気軽に、何度でも読むことができます。

 

短いから“程度”が低いというものでは、決してありません。

 

私にとって、

小説とは、「人の人生を描いて哲学を語る」もの、

童話や絵本は、「エピソードで哲学を語る」もの、だと思っています。

どちらもやはり根底にあるのは、哲学です。

 

ここでいう哲学を、もっとかんたんに言えば、

「作者が日頃何となく思っている『世の中ってこういうことだよね』という考え」

と言えるでしょうか……。

 

「世の中はややこしいけれど、
大事なことは、きっとシンプルであるはずだ……」

 

↑これが、私が持ち続ける「一貫した思い」でもあり、同時に「願い」でもあります。

 

何度も読める、短いエピソードで、私は、私の人生に対する思いを描きたい……

 

難しい言葉ではなく、ひらいた言葉で、ひらいた心に届けたい…

 

子供も読めて、大人も楽しめるというのは、

本当は、当たり前のことだと思っているのです。

私の夢は、

ある小さな子供が、両親にファミレスに連れていってもらう時に、

「ちょっと待って」と言って、

私の書いた本を、ファミレスに持って行きたがるような……

そんな場面が、この世の中に生まれることです。

(持っていく必要のないものだけど、

持っていきたいと思わせる、ということです。)

 

これは近い将来、叶うと思っています。

そのあとの夢は、日本のサン・テグジュペリ、

そして、日本のミヒャエル・エンデになることです。

 

これもきっと叶うと思っています。

 

今後も、童話作品を書き続け、

多くの人の心の奥底に、あたたかいものを届けたい……

多くの人と、心の奥底で、コミュニケーションをしていきたい……

それが私の望むことです。

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