① 自分のことが分からない不安

自分のことを知りたい人って多いと思います。

「自分とは何か?」
「自分って何者なのか?」
「自分って、もしかしたら“自分”を演じているだけなんじゃないのか?」

という感じに。

私もそうでした。

私の場合、20代の間はずっと、〈役者と童話作家を目指している人〉だったのですが、この2つの夢はどちらもたやすく叶えられるものではなく、悶々としながら、ただ日々は流れていくばかり……。

そんな時に私が取り組んだのは、“自分の好きなこと”を徹底的に研究してみることでした。

私は小さい頃から異常なまでに「昔話」が好きだったので、そんな昔話を独自に“研究”してみました。(歴史、分類、ストーリー構成などをノートにまとめていくといった感じです。)

ですが、それでも私の中にある未来に対する不安は、いっこうに消える気配はありません……。

私はいつしかそんな不安を、話しやすい年輩の方などに相談するようになりました。

ありがたいことに皆、何らかのアドバイスをくれました。

私は、その場では、さも解決したようなそぶりを見せていました。

「そうですね、ありがとうございます!」と返して。

ですが、もらったアドバイスを行動に移すことなど皆無でした……。

② 誰か教えて! 金なら払う!

そのうち、そんな私の〈自分探し〉はエスカレートし、次第にディープな世界へと突き進んでいきます。

知人から、どこどこに有能な霊能者がいると聞けば、夜行バスに乗ってそこへ足を運んだり、かなり高額の占い霊視といったサービスも利用したりしました。

ところが、どこへ相談に行っても、ただお金を失うだけで、心のモヤモヤはいっこうに晴れません。

地位のある方や、名の通った方などに相談しても、「果たして、“この人”の言うことは信じられるだろうか?」ということにばかり関心を寄せるようになっていました。

完全に、自分よりも、他人にフォーカスしてしまっていたわけです。

当然、不安は解消されるどころか、ますます強くなる一方でした……。

③ アドバイスをもらいたい=逃げているだけ?

こうした状況が何年も続くと、いったい自分が何に向かって生きているのか分からなくなってきました。

自分の夢に対しても、「本当にそこへ突き進むべきなのか?」と自信が持てなくなってきました。

そんな私に対し、ある日、ある人から強烈な一言がありました。

馴染みの年配の方に何気なく人生相談をしていたところ、私に対して、ポロッとこんな言葉が出てきました。

「3年前とまったく同じこと言ってる」

と。

これはもう頭を鈍器で殴られたようにショックでした。

私はもがきながらも、少しずつは前進しているつもりだったのに、その人から見たら、まったく以前と変わらないというのです。

しかも、3年もの間……。

私は、人にアドバイスを乞うという名目で、自分と向き合うことから逃げ、ただ“言い訳”を探し続けていただけだったのだと気付かされました。

ただ同じところをグルグルと回り続けていただけ。

少しも“成長”をしていなかったんです。

「いいアドバイスさえもらえば、それにしたがって次のステージへ行ける」……そんな考えは単なる幻想に過ぎませんでした。