SC所論❷/3|わらしべ長者に学ぶ

ストーリーが人の心にもたらすもの

前記事のSC所論❶では、人間が生きていくためにストーリーの力は欠かせない、といったお話をしました。

そしてその理由は、人は既存のストーリーを参考材料にして、自分が抱える問題の突破口が見つけるから、ということでした。

(ストーリーとはもちろん“第三者視点”で触れるものです。)

ですが、まだ具体的に、世の中にある数々のストーリーを自分にどう役立てればいいのか分からない、という方も多いでしょう。

そこで今回は、ひとつの昔話を例に挙げながら、実際にそのストーリーが人へ何を伝えようとしているかについて紹介していきます。

また、その昔話のストーリー構造に触れながら、人生をストーリー化する際のコツについても紹介します。

実は、この記事の内容こそ、私が提唱する「ストーリーカウンセリング」の真髄ともいえる考え方です。

わらしべ長者の伝えるメッセージ

昔話は、私の人生観や生き方に、とても大きな影響を与えています。

それくらい私は、小さい頃から昔話が大好きでしたし、今でも大好きです。

その中から、ここで取り上げますのは、桃太郎でも花咲か爺さんでもなく、 『わらしべ長者』です。

実はこの話、ものすごく深い話なんです。

ではまず、『わらしべ長者』とはどんなお話だったか、おさらいしていきましょう。

 

ある村に百姓がいて、その百姓には3人の子がいた。

ある時、百姓は息子3人に財産分けをした。

長男におかねを全部、次男に田畑を全部、三男にはわらを1本あげた。

三男がわらを持って歩いて行くと、ハスの葉を収穫しているおじさんがいた。

おじさんが、ハスの葉をくくるわらがなくて困っていると言うので、三男がわらをあげると、おじさんはお礼に、ハスの葉を一枚くれた。

また歩いていくと、味噌を作っているおじさんがいた。

おじさんが、味噌をつつむ葉っぱがなくて困っていると言うので、三男がハスの葉をあげると、おじさんはお礼に、味噌を分けてくれた。

また歩いていくと、刀鍛冶(かたなかじ)がいた。

この刀鍛冶が、「いい刀が打てたのだが、これを最後に味噌で冷やすと名刀に仕上がるんだが……」とひとりごとを言っていたので、三男が味噌をあげると、刀鍛冶はお礼にその刀をくれた。

また歩いていくと、こんどは眠くなったので、刀を脇において、三男は昼寝をした。

そこへ山犬があらわれ、三男におそいかかったが、おいていた刀がひとりでに切りかかり、山犬を追っ払った。

それをたまたま見ていた村の長者が、「あの男はただ者でないな。ぜひ私のひとり娘のむこに来て欲しい」と言い、三男はとうとう長者のむこになった。

 

と、こんなお話です。

ただ聞いたら「んなアホな!」で終わってしまう話かも知れませんね。

もしくは「ふ〜ん……」で終わり。

でも、考えてみてください。

このシンプルな話が、なぜ遠い昔から語り継がれてきたのでしょうか?

この話には、“とても心地よく人の心の奥底へ語りかけてくる何か”があるように感じませんか?

昔話が描いているのは、「人が生きる姿」そのものです。

そしてそれはそのまま「人が成長していく姿」とも言えます。

この話をあえて丁寧に解釈すると、このような人生哲学が見えてきます。

 

人は〈自分が獲得し、すでに持っているもの〉と〈ちょうど合致するもの〉と出会った時初めて、次の段階を有効に進むことができる

 

そうです、この話、何だか間抜けな話のように見えて実は、人の成長そのものを語っているんですね。

「んなアホな!」どころか、とてつもなく深い話です。

 もちろん、ただ「ふ〜ん……」で終わってもいいんです。

 「何となく好き」とか、「何となく面白かった」とだけ感じることができれば、人の心というものはちゃんと感じ取っています。

そして、この話が持っているメッセージをちゃんと自分の人生に活かしていきます、無意識のうちに。

ストーリーを自分の人生の参考材料として活かすとは、つまりはこういうことです。

別に昔話でなくても構いません。

映画でも、小説でも、ゲームでも、アニメでも、ストーリーのあるものなら、何でも大丈夫。

人の噂話だって、立派なストーリーです。

人は意識してもしなくても、ストーリーから何かを学び、自分の人生の問題解決のためのヒントをちゃっかりと得ているのです。

ストーリーは、ただ面白いだけではないのです。

わらしべ長者を参考に人生をストーリー化する

『わらしべ長者』のストーリーの魅力は、そのメッセージ性のみにとどまりません。

ストーリー構造も非常に魅力的です。

主人公の三男が辿った経過を眺めると、こう言えます。

 

わらを持っていたからこそ、ハス獲りのおじさんに会えた

ハスを持っていたからこそ、味噌作りのおじさんに会えた

味噌を持っていたからこそ、刀鍛冶に会えた

 

つまり、次の出会い(エピソード)につながるために、その“接着剤”となるべき「アイテム」が必ずあったわけです。

このストーリーを人生とか、人間の成長になぞらえてみると、ここでいう“接着剤”は「アイテム(物)」だけではなく、「スキル」、または「感情(精神的成長)」といったものにも置き換えることができます。

私が、自分の人生をストーリー化するのに、昔話が役に立つと主張するのはこういうところからです。

改めて、これを人生に当てはめて考えると、人生が次の段階に進む時には、必ず“接着剤”ともいうべき「感情」があります。

アイテムなり、スキルを得ると同時に「感情」が揺り動き、それが人生を前に進める決定打、つまり「決断」を生むのです。

(言うまでもなく、人生は決断の連続です。)

そして「決断」の次にくるのが「行動」です。

SCのインタビューは、実はわらしべ長者がベース 

ストーリーカウンセリングのインタビュー手法は、SC序論①で紹介した「思考整理メモ」の方法論とほぼ同じで、事実から感情的な言葉を取り除くと、自然とそこにストーリーが姿を表す……という考え方のもとに行います。

もちろん、「思考整理メモ」自体は、独りでできるものですが、事実と感情の切り分けに思いのほか苦労することでしょう。

人生をストーリー化しようとする時、もっとも大事なポイントは、エピソードのつながりをきちんと意識するということです。

それはちょうど、『わらしべ長者』で言うところの、わらであり、味噌であり、のことです。

そして、人生で言うところの、「これがあったから自分はこうしたんだ」という感情および決断です。

いや、もっと言えば、「これがあったから自分はこうせざるをえなかった」というふうに考えれば、より自身を“肯定”することができるでしょう。

ストーリーカウンセリングのインタビューは、以上のような考え方をベースにして行っています。

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 ※本記事内の『わらしべ長者』に関する考察は、昔話研究者である小沢俊夫氏の著作を参考にしています。

 

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